銘木・魚梁瀬杉の歴史は古く、豊臣秀吉が長曾我部元親に命じて、京都仏光寺の大仏殿に使う木材を献上させた記録が残っています。このとき、奈半利川に流して木材を運びました。明治時代になると、牛や馬で木材を運ぶ林道がつくられますが、その当時も、安田川と奈半利川を利用した水運が主流でした。
明治40年(1907)、軌道による運材が始まり、明治44年(1911)に田野−馬路間の軌道が開通します。当時は、トロッコに木材を積み、勾配を利用して海岸まで運び、空になったトロッコを犬が引いて山に戻っていました。
機関車による木材の搬出が始まったのは、大正10年(1921)のこと。時代とともに、蒸気機関車、ガソリン車、木炭ガス車、ディーゼル車が登場し、木材の大量輸送に大きく貢献しました。林業は地域の基幹産業で、山も街も賑わい、活気に満ち溢れていました。機関車の運転手は花形の職業といわれたそうです。
昭和38年(1963)、森林鉄道は廃線となり、軌道の一部は車道となって、トラックが走りました。
資料
魚梁瀬森林鉄道 (RM LIBRARY(29))/舛本成行(著)・寺田正/出版:ネコパブリッシング
林鉄・寺田正写真集/寺田正/発行:寺田正写真集刊行会